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水坂早希「魔法少女沙枝」でまた抜く。
沙枝への凌辱はまだ続き、尿道に魔法をかけられて放尿すると射精と同じ快感が走る体にされてしまう。
さらに、魔法の液体を大量に浣腸されて、その液は膀胱にも行くようになっていて、一気に放尿する。
肛門にも射精の快楽の魔法がかけられて、両方の穴から間欠的に液を噴出しながら衆人環視の中でイキまくり。
さらに、魔法をかけられた両乳首とクリトリスも刺激される。
エローい。むちゃくちゃエローい。
よくこんなエロいシチュエーションを考えつくなと感心する。
今までいろんなエロ漫画とかを読んできた中で最高のエロさ。
なんでこんなにエロいのか考察してみた。
一つには、水坂早希が類希なるエロい人で、その表現手段がたまたま小説だった。
もう一つには、小説というメディアの自由度の高さ。
漫画やアニメでは表現不能なことが小説なら出来るから。
他には天は二物を与えずシステムの為。
エロいことを考える才能とエロい絵を描く才能の両方を兼ね備えた人材が希で、内容はエロいのに絵が今一つだったり、絵はエロいのに内容が凡庸だったりするケースはよくある。
前者の例として、桃山ジロウとか未由間すばるとかさんずいとかが思い当たる。
小説を書くのも才能の一つではないのかという反論もあるけど、ライトノベルというジャンル全体として、あまり技巧に走った文章や特殊な語彙は必要とされてなくて、判りやすい文章で描写して物語を伝えられればそれでいいということになっている。
実際、エロ小説は特に実用性が全てなので、読むのに不都合があるような難解な表現は全て抜くのの妨げになる。
文法や語法の間違いが無く、同じ語や文末表現を繰り返す等の文章としての稚拙さが無ければ、文章能力はそれで十分と言える。
よって、二物システムには引っかからないので、エロさ全開で作品にすることができるのではないかと思う。
エロ小説の別の特徴として、思い出してもエロいというのがある。
AVとかは見ている最中は興奮するけど、止めてしまうと興奮も止まり、後でAVを思い出して抜くということは困難になる。
エロ漫画の場合は、ある程度思い出して抜くことができるけど、それは絵柄ではなくてシチュエーション的なエロを思い出している場合に限られる。
小説の場合は、思い出せる物はみんな一旦咀嚼して頭の中で再構成されたシーンなので、挿絵が無かった筈なのに情景まで思い出すことができる。
事実、10年以上も前に読んだネット小説を思い出して、今でも抜くことができる。
- 2005/01/16(日) 19:47:05|
- 小説|
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水坂早希の「魔法少女沙枝」の1巻で抜く。
とらのあなの虎通の成年コミックのランキングに入っていたのでどんなのかと思って読んでみた。
小説なのにランキングに入るって凄いと思う。
魔法少女アイの作者でもあるんだな。ノベライズだけど。
内容は、妖精に魔法少女になって戦ってくれと言われた沙枝が、エロい敵のお姉さんと戦ってエロいことをされる話。
抜いたのは、乳首とクリトリスが大きくなる魔法をかけられて戦えなくなるシーン。
うーん、やはり挿絵ではエロさを伝えきれない。
小説というのは最高のエロメディアではないかと思う。
どんなオカズにしろ、刺激を受けて、それを脳がエロいと判断して、興奮するという段階を経る必要がある。
見ただけで興奮するようなオカズは残念ながら存在しない。
で、その興奮の度合いというのは結局、脳がどれだけそれをエロいと感じたかに依存していて、最終的には本人のイマジネーションで興奮しているのであり、オカズはその補助に過ぎない。
AVを観ている場合でも、女優がこんなに喘いでいて気持ち良さそうだと思ったり、男優のちんこやディルドーをしゃぶっている様子を自分の体験にすりかえて、擬似的にしゃぶられていると思い込んだりして興奮する。
オカズが理想的な状態ならそれでいいけど、もう少し顔が可愛かったら、胸が大きかったら、声が良かったら、という不満が付きまとう。
それが実写エロの限界になる。
それを超える為に二次元エロがあって、説明を飛ばすと、その上にエロドラマCDがあって、その上にエロ小説がある。
つまり、イマジネーションの余地が残っていればいるほど、自分好みの妄想ができるので興奮できるという仕組みになっている。
そういう意味では、オカズ無しの妄想オンリーがベストなのだけれど、それができるのは天才だけだと思う。
- 2005/01/14(金) 18:25:51|
- 小説|
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